文字が読めないこと、書けないこと、計算ができないこと。
従来の方法で測られる「学力」に対して、次男のパンダ🐼は圧倒的に不利な立場にあります。
学力によって、差異化・身分の固定化・住む場所や働く場所、人間関係の選択可能性といった「社会移動の制限」が決まってしまう。
何かによって「制限される」ことは、cocoatoochaにとってとても息苦しく感じられます。
では、「学力」を含むさまざまな「格差」から自由になる方法はないのでしょうか。
パンダ🐼が苦手としている学力を獲得する道はあるのでしょうか。
学力格差からの脱出を研究した論文があります。
耳塚寛明『学力格差の社会学』(勁草書房)。

この本では、家庭的背景の中でも「幼少期の絵本の読み聞かせの有無」と「新聞を読むことを奨励しているか否か」を組み合わせた要素が、親の社会経済的地位とは関係なく、普遍的に学力へ影響を与えると指摘しています。
つまり、子どもが文字を読む以前からの働きかけ、あるいは読み始めてからの関わりが、その後の学力に影響するということです。
一方で、親の社会経済的地位が、子ども自身の勉強時間の差を帳消しにしてしまうほど強く学力に影響するという調査結果も、著者は驚きをもって報告しています。
著者は、親の地位によって子どもの学力階層が固定化されるのは公正ではないという立場から、学校での取り組みにも言及しています。
教員の立場から、学校ができる工夫を示し、家庭でできることとしては「書く・話す・聞く」を大切にすること、発展学習よりも基礎学習を重視することを提案しています。
課題を提出し続けることの大切さを子どもに説明する際の根拠にもなります。
それでも最終的には、家庭的背景のインパクトは非常に大きく、学力格差は社会問題であると結論づけています。
業績主義的な選抜は、もともと社会移動を促すために始まったはずなのに、結果として家庭的背景による格差を再生産し、出自にもとづく属性主義的選抜と変わらなくなってしまう、と著者は喝破しています。
著者らは教育社会学の立場から、平等を実現したいという強い思いを持っています。
では、cocoatoochaの次男パンダ🐼は、教育社会学的アプローチによって社会移動の自由を手に入れることができるのでしょうか。
今の学校の仕組みでは、少し難しいのかもしれません。
しかし、「学力」の本質をとらえるために、読み上げソフトや計算機を使うことが当たり前になれば、パンダ🐼は学力という軸の中でもっと楽に生きられるのではないかと思います。
合理的配慮が社会に広く行き渡ってほしい。
合理的配慮を通して、パンダ🐼が苦手な部分を補い、その中で知識を得て、面白いと思える仕事を見つけてほしい。

パンダ君には、何にも「制限される」ことのない、すがすがしい人生を歩んでほしいと願っています。


