発達障害者の62歳父親として考えたこと

2013年,DSM-5: 米国での精神疾患病名一覧

2015年,ICD-11:米国の診断名一覧

2016年,日本の知的障害者福祉法改正

2016年,発達障害者支援法改正

米国は発達障害のなかに知的障害を含め,日本は知的障害を一つの分類として,それに発達障害が重なる場合があるとの建付けで診断・法律・支援が構築されています。

日本で発達障害として診断される下位分類は3個にわけられます。①自閉症スペクトラム②注意欠如多動症③限局性学習障害です。①と②には知的障害が同時に起きてもいいし,知的障害と発達障害両方の福祉支援の道があります。③は読み書き計算に限局した障害があり,知的障害はないものを発達障害として扱います。

①②③それぞれ社会生活や生活の糧をえるための就労に関して適応できない面がでてくるので,程度と必要性に応じた支援が受けられるようになっています。

逆に読みとくと,社会・就労で適応不全をおこす症状を単純化して分類し,支援にむつびつくように法律が定められ,運用がスムーズにいくように分類がされています。

発達障害の症状で面白いのが,知的能力を駆使することで困りごとを弱めるあるいは目立たなくさせることができたり,学習・経験・療育で困りごとの軽減あるいは消失が期待できることです。

困りごとが克服される可能性がある一方で、社会との不適合によってうつ状態や心的外傷を発症する二次障害が重要視されている側面もあります。

発達障害の予後を見てみると,①自閉症スペクトラムのコミュニケーション障害,②注意欠如多動症の衝動性や集中の持続性なさ,③限局性学習障害における読み書き計算能力は改善している報告が散見されます。

脳自体の変化と他の部分をつかった対償や修正が加わっているようです。

人は成長するようです。

ここで大切かなとおもうことは、そうはいっても、(発達障害と定型発育をわける責任臓器としての)脳の傾向はかわらないことです。

無理にこうあるべきだと強制することは子供の間に溝をつくってしまうことを強調したいのです。

学習障害児 虐待 59歳子育て

ただ、脳全体の使い方の変化で能力が獲得できそうです。

脳の器質的障害すら回復するのですから、未発達の部分が発達してくる可能性や、補う部分の発達やネットワークの発達があるとすればそうかもしれません。

「奇跡の脳」61歳 読後感想 精神活動・学習・幸福感について考えさせてもらいました

発達障害は適切に療育すれば完全でないにしても苦手なことができるようになるのでしょう。

繰り返しになりますが、療育とは定型発達のふりをさせる訓練ではないと思います。

周囲のかかわりについて、cocoatoochaは脳全体を社会生活に適合するよう鍛えていくイメージをもっています。

『鍛える』と表現するとちょっと誤解ががありそうです。『育てる』がよりいい気もしますが、介入の要素を強調すると『鍛える』も悪くない表現だと思います。

ちょうど・・・

懸垂の回数が増える様に。逆上がりができる回数が増える様に。自転車に乗れるようになるように。体が思うようにうごくことが楽しくなるように。

けれど・・・当時は成長するなんて思えなかったな。

他の子とくらべると感覚敏感だし,癇癪おこすし,勉強をしようとしないしできないし,幼稚園や学校いかないし。

58歳子育て 聖痕か烙印か  スティグマータあるいはステグマ highly sensitice child: HSC 58-year-old parenting Stigmata or stigma Highly sensitive child: HSC

どうなるんだろうと思いました。

パンダは❝いいこ❞・❝勉強が好きな子❞になる思い込み。

今から思うと親としてのスタートがいささか残念なところでした。

アプローチがまずかったと思います。

両方の祖父母の助けのない,縁のない土地で,

夫婦で3人の子育て。

第3子🐼の障害

幼稚園では地元の子供優先の対応…発達障害の見立てはなく、ほかの子と違うことになんの深堀もなく。後で聞くと昼ご飯は一人きりでお弁当をたべさせられていました。

人的資源の枯渇・・・

58歳子育て 小パニック と 大パニック 適応障害 虚脱 

育児書や育児雑誌をみながらの手探りのものでした。

いいと思えることはできる限り手配して。

今から思うとよかったことは屋外あそび・読み聞かせ・バランスの良い食事。

ちょと他の子と違うなと思ったときに,子供をもっと見て・・・いや・・・違う視点で見直してやればよかったと思います。

❝いいこ❞や❝賢い子❞であることに価値を置きすぎていたことはよくなかったと思います。

それでも、かわいいな 大切だな そんな感情が途切れることはなかったのはよかったとおもいます。

子供は親と全く別の人間であることを、答合わせができる高校生を過ぎてから気づくのはなんか・・・(社会や情報に)だまされた感じがします。

たとえでいえば,血液型で性格を分ける話のような『社会の空気』的な?。

❝いいこ❞でなくてよかったんじゃないかと思います。現在はまちがいなく次男🐼のことを『定型発育』でなくてもかけがいのない人間存在ともっています。

子供と親 そして 社会は変わっていくものである視点を忘れないでいたいと思いますし、ありのままを受け入れ、困った部分は工夫をしていくことを続けていきたいと思います。